<過去の旅 1>
■ 生まれて ■


私の存在は、産まれる前からいらないものでした。
母親にとって、理想の家庭は、子供が2人の4人家族でした。
そして、母の姉妹もほとんどが2人子供を持っていました。

私は死んだ姉の代わりに無理矢理作られた子供でした。
だから、両親の愛が冷めて、父親が浮気をしても、子供だけは作って・・・。

私が産まれた日、父はゴルフをしていたそうです。
そして、産まれた事を聞いて、ふと、目の前の芝生に目をやり、「緑」と名付けられました。
姉のように、お坊さんに頼んで命名してもらう。とかでなくてもいい。
でも、そんな決め方をしたのを笑って言われるのは辛いです。

そして、姉の「きょうこ」ちゃんが生後1週間で死ななかったら、私は生まれなかったのだから、感謝しなさい。と母親にいつも言われていました。
私は母に感謝しなくてはいけないのでしょうか?

そして、生後半年が過ぎた時、姉の熱をもらい、私ははしか、みずぼうそうと次々にかかりました。 3つ目の流行熱が何だか忘れましたが、その時、私はミルクを飲む力もなかったそうです。

そこで母は、生きるのに必要な最低限の水だけ飲ませて、後は「この子は死ぬんだ」と放置していたそうです。

そして4日目。私は急に泣いたそうです。
その声で、母は水を与えました。 私は必死で飲んだそうです。
そして、ミルクを与えられ、生き残る事が出来ました。
この話も笑っていわれますが、その時、私自身が必死で生きようとしなかったら、今頃私はこの世にいなかったのでは・・・。と思います。

そして、今でも「感謝しなさい」と言われます。
でも、思いは複雑です。



 


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