<過去の旅 4>
■ 高校生編  その2 ■


高校入学してまもなく、私は交通事故に会いました。
白線の内側を走っていたのに、後ろから追突され、飛んだ所をもう一度轢かれました。
全身の関節の脱臼と右足の複雑骨折で済んだのが不幸中の幸いでした。
入院をめぐって、色々とトラブルがありました。
今回は、その事を書きたいと思います。

まず、入院して警察から連絡先を聞かれた時、私は母の勤めている所も、父の勤めている所も知りませんでした。
勿論、家には誰もいません。 警察も困っていました。
唯一、私が覚えていた姉の短大名で、学部は知らなかったのですが、警察が調べてくれて、姉から母に連絡が行きました。

・・・私、誰からも連絡先を教えてもらっていなかったんですよね・・・。

そして、数時間後、母が病院にやってきました。
そして開口一番「なんで死んでもいいからナンバー見なかったのっ!!」と怒鳴られました。
そう。私ひき逃げにあったんです。 でも、後ろから轢かれて、宙を飛んでいる時にもう一度轢かれて、とてもナンバーは見れませんでした。
言い訳ですが・・・。 でも、この時ばかりは優しい言葉をかけてくれるのでは・・・と期待していたので、ちょっと悲しかったです。

そして、父は、丁度鼻からばい菌が入り、40度の熱を出し寝込んでしまったそうで、お見舞いに来てくれたのは2週間後でした。

母は、一応、その間面倒を見てくれました。それには感謝しています。
父も、病気が治ってからは、毎日お見舞いに来てくれました。優しい父だと思いました。

そして姉・・・。 何も連絡がなく、ある日突然リクルートスーツで現れた姉は、私に罵声を浴びせました。
「あんた、あたしに対する嫌がらせで事故るなんて迷惑なんだよっ!!」
「あんたのおかげで私はお母さんに色々相談出来ないから一人で就職活動しなくちゃいけないんだよっ!!」

・・・後に就職活動は一人でするものだと知りましたが、その時は謝るしかなかったです。
そして・・・

「お母さんがあんたの事を【金食い虫】って言ってるよ。死ねよ」

これが見舞いに来た姉のセリフでした。

その後、同室の人に慰めてもらいましたが、今も心に残っています。
一度も私の病状を尋ねる事なく、罵声だけ浴びせて帰った姉。
その人は本当に私の姉なんでしょうか・・・私でもそう思います。

ちなみに、その後退院して家に帰ってもイジメは続き、私は過食症になりました。



   

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